お羊雑記 ‐哲学とIT‐

元哲学専攻のIT企業に勤めるうだつの上がらない営業の徒然なる日記

哲学専攻者が考える災害時満員電車の非日常性

f:id:hutsujiyama0807:20180922233858j:plain

 皆さんこんにちは!お羊山です。

 最近本当に災害が多くて、日本はどうなってしまうんだと不安な夜が続いています。

そんな中、公共機関にも大きな影響が各地に出ていることと思います。在来線や新幹線など近くで直接的な被害が出ていない場合も、路線が続いている遠くの場所が被害を受けている場合、自分の移動の妨げになってしまうことも多々あると思います。今日はそんな被害を受けていないから会社に行かなければいけないけど、会社に行けないというやるせない状況について書こうと思います。

 

 こういう状況は通勤時はもとより通学などでもあると思うのですが、今回私は東京に出てきて初めて通勤ラッシュかつ災害で駅が込み合っている状況に出くわし、その尋常じゃなさに久々に自分が不条理な世の中に生きていることを思い出しました。というのも、この場合、皆が予期せぬ防ぐことが不可能な自然災害によって電車が混みあうこと自体はしょうがないことではありますよね。ただ、乗車する前のお客さんはいつもより、太い列を作って並んでいるのですが、災害のダイヤの乱れによって、本数が減り乗れるキャパシティもだいぶ少なくなっています。つまり、入れる人は限られているのに乗る人はとても多い状況になります。すると、そこで譲り合いの精神や自分が押すことで危険な目に合う人に対する配慮は全く生じず、皆が我先にと電車に流れ込みます。

 

 これを見て、というか私もその中の一人だったのですが、人間なんてやっぱり自分のことしか考えてないんだなということを感じてしまいました。その群れの中には普段から素行の悪い人もいれば、善い人もいるでしょう。しかし、全体で見たときに明らかにそれは素行の悪い塊でした。通勤という多くの人がしたくないことをしに行く電車でさえ、そういうことが起きるのだから人は本質的に自分のことしか考えていないんだなと考えてしまいます。その自己中心性は「ウシジマくんと働くということ」でも書きましたが、社会構造で見えにくくなっている部分です。それを感じ久々にぞっとしました。

 

 とはいえ、私はその自己中心性は本質的には悪いものだとは思っていません。そのことは機会があったらまた話したいです。皆さんはこういう不条理な環境を見たときどのように感じますか??