お羊雑記 ‐哲学とIT‐

元哲学専攻のIT企業に勤めるうだつの上がらない営業の徒然なる日記

「闇金ウシジマくん」と働くと言うこと

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じゃあまた10日後。大羊山です。

今回は、私がここ最近で一番感銘を受けた漫画であるウシジマくんについて書きます。

私は転職活動中に息抜きとしてウシジマくんを読んでたんですが、そのときの状況とマッチしすぎていて、本当に色々考えさせられました。

私の印刷工場での仕事と作中の人々

印刷工場の現場の末端の肉体仕事をして自分の時間を切り売り、上から言われたことを何も考えずただこなし、生活がぎりぎりできるだけの給料をもらう自分の生活と作中に出てくる登場人物がリンクしすぎていました。

将来が見えず、周りにコミュニケーションを取れる人もおらず孤独感、閉塞感を感じ続け世の中を生きていた私は作中のウシジマくんからお金を巻き上げられる人たちを自業自得だと面白がって他人事のように見ることはできませんでした。

彼らの救いのない最後は私にちゃんと人間として生きられる環境への就職を促しました。

ウシジマくんと仕事

働くとはどういうことでしょうか。私はこの漫画を読んで考えるようになりました。

人間は生きるために働いています。

牛島くんは闇金屋として、羊山は工場の生産管理者として。二人とも生きる物資と交換できる現金を得るために、ウシジマくんは人から現金を奪って、私は自分の時間を切り売りして。

いや、それは違います。

私も人から奪うために働いています。

人から奪っているという罪悪感を時間の切り売りという理由で誤魔化しているんだと思うようになりました。

動物が生きるためには、他の動物の命を奪って生きなければなりません。

こと人間界において、特に日本においてその事実は産業構造ひいては社会構造の裏に巧妙に隠されてしまっています。

肉を食べたいと思えば、かつては生きている動物でありましたが、多くの人の手が加わることによってスーパーに売られているただの物体と化したブロック肉が並んでいます。

それを自分の時間を売って手に入れた現金と交換して購入します。

このように、産業構造によって多くの段階に分けられて間接化に間接化を重ねて分からなくなっていますが、現代の日本人でも生きるために、多くの動物や人から命や時間を奪って生きています。

働くと言うことはその奪うと言うことに正当な理由をつけるための行為だと私は考えるようになりました。

皆さんはどう思いますか?

 

 長くなってすみません。働くことにちゃんと向き合う時間をくれた作品でした。

内容についても書きたいのでそれは次回で!それでは!